粟野庚申講・粟野庚申塔群≪市指定≫

粟野庚申講・粟野庚申塔群(あわのこうしんこう・あわのこうしんとうぐん)

粟野庚申講・粟野庚申塔群の画像1

粟野庚申講・粟野庚申塔群の画像2

粟野208 (八坂神社境内)

 中国の道教の教えを根源とする庚申信仰は、人の体内にいるとされる「三尸の虫」が60日毎の庚申の夜、寝ている間に天に上って天帝にその人の日頃の悪事を報告し、命を縮められるというもので、庚申講はそれを防ぐため、庚申の夜は眠らずにいれば、早死にせずに長生きできるという民間信仰である。庚申塔は江戸時代には盛んに建てられたが、明治時代以降は次第に少なくなる。
 粟野は、江戸時代前期から現代まで庚申講が続いている市内で唯一の地区である。現在は夜通し行う講は行われていないが、講による庚申塔の造塔が継承されている。ここに造立された庚申塔は、元禄12年(1699)が最も古い。文化12年(1815)以降(1845年と1850年をのぞく)は5年ごとに現在まで規則正しく建てられている。
 なお、八坂神社は、明治12年(1879)頃に千葉県が作成した「神社明細帳」によると、大永3年(1523)の創立とされている。

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