佐津間城跡・渋谷総司コース

スタート

1.東武野田線 六実駅 

 

所在地 松戸市六実4-6-1

 

徒歩5分

2.宝泉院 渋谷総司顕彰碑 

 渋谷総司は佐津間出身の討幕勤王の志士である。赤報隊(新政府軍先鋒隊)に参加し、年貢半減をかかげて東山道を進軍し活躍した。しかし「偽官軍」の汚名を着せられ、慶応4年(1868)、隊長であった相楽総三らとともに下諏訪で斬首された。この時、総司は22歳であった。
 なお、「偽官軍」として処刑された者に対する祭祀は、遺族も世をはばかり思うようにできなかったが、明治3年には処刑された地に「魁塚」と名付けられた塚が建立された。大正から昭和初期にかけて赤報隊員たちの名誉回復運動が行われ、数度の請願の結果、昭和3年(1928)復権し、贈位を記念してこの碑が建てられた。
所在地 鎌ケ谷市南佐津間9-37

 

渋谷総司贈位顕彰碑の画像

徒歩3分

3.光明真言道標 

光明真言道標の画像

  北部公民館から宝泉院に向かう路傍に所在する。密教の呪文である24字の梵字(古代インドの文字)からなる光明真言を円形に連ね、中央に大日真言(すべての功徳を得るため唱えられるもの。翻訳せず原語のままで唱えられるため梵字で書かれている。)を配している。また、鮮魚道の道標を兼ねており、正面に「木おろし 成田山道」、右側に「松戸 江戸道」、左側に「粟野 ふなばし道」とある。文久4年(1864)の造立である。
 なお、鮮魚道は我孫子の布佐から松戸を結んだ道である。銚子で水揚された魚を江戸まで運ぶルートにあたるためそう呼ばれた。
所在地 鎌ケ谷市南佐津間10

 

徒歩10分

4.馬頭観音 

 馬は、動力機関が発達する近代以前には運輸や大きな労働力として貴重な存在であり、大切に扱われていた。そこで馬を飼育する人々の間で馬の無病息災や供養のために馬頭観音に祈願する講ができたりして、馬頭観音を造立することが広まった。市内では粟野の八坂神社に安永8年(1779)銘のものが、現在確認されている中では最も古い。明治以降は次第に特定の日付が刻まれているもが多くなり、馬の墓標として造立されるようになったようである。
 道野辺字下西山の墓地には、3基現存している。これらのうち、明治43年(1910)造立のものは、日露戦争に徴発されて死んだ馬の供養のための馬頭観音である。
所在地 鎌ケ谷市道野辺35

 

馬頭観音の画像

徒歩3分

5.日枝神社 

日枝神社

 日枝神社の森は、コナラを中心とした落葉樹林が林全体を占め、下層にはヒカサキが多い。ノダフシが林内に広がり、5月には見事に咲き誇る。

徒歩10分

6.佐津間城跡 

 佐津間城跡は東側に大津川をのぞむ標高25メートルの台地上に築かれており、台地下の集落とは約9メートルの比高がある。土塁と空堀をめぐらせて、周囲を台地から遮断して郭を形成する単郭構造の城郭である。守備を主体としたようで、四方に張り出した構造の櫓台と、その櫓台を利用した横矢構造(侵入する敵を側面から攻撃できる構造。)が確認され、郭の入口となる虎口(敵の侵入に備えた城の入口。「小口」とも書く。)の跡も残っている。また、こうした入口が村落側にあることは、城と村落が一体の関係であったことも推定される。城の大きさは堀の外側で東西50メートル、南北76メートル、土塁の内側で東西21メートル、南北35メートルある。周囲には屋敷裏、北根郷屋、南木戸などの城に関係する小字名も残っている。
築造された時期は戦国時代(16世紀中~後半頃)と推定されている。

所在地 鎌ケ谷市中佐津間1-9

 

佐津間城跡

徒歩3分

7.大宮神社 

江戸時代の佐津間村の鎮守。江戸時代の石碑が多く残っている。

コース情報