森林浴コース

スタート

1.東武野田線 鎌ケ谷駅・西口 

所在地 鎌ケ谷市道野辺中央二丁目1番10号

 

徒歩8分

2.道野辺八幡神社 

境内脇には、小金中野牧と村境に造られた二重の野馬除土手と堀が残っている。

徒歩9分

3.妙蓮寺 

妙蓮寺は中山法華経寺の末寺の古い寺である。道野辺は、日蓮の母妙蓮の生まれたところとの伝承もある。

徒歩6分

4.根頭神社の森(市民の森) 

 市民の森の主要部分を占めている森で、スギ・ヒノキ・アカガシ・コブシなどの本殿林と、それを囲むスギ・ヒノキの人工林で構成されている。また、胸高直径3.48メートルのスダジイの巨木もある。スギの樹齢は100±10年と推定される。  また、草本類の種類も多く、ウラシマソウ、チゴユリ、ミヤマナルコユリ、ヤマユリ、ヒトリシズカなど多くのものが確認されている。

平成4年8月指定

所在地 千葉県鎌ケ谷市道野辺49

 

根頭神社の森の画像

徒歩8分

5.八幡春日神社の森 

八幡・春日神社の森の画像

 もともとスギとクロマツの人工林から始まり、約200~300年を経過しているものと思われる。胸高直径3メートル以上の巨木は、スギが2本、ムクノキが6本ある。また、暖帯林特有のヤブツバキが亜高木として森をおおい、 12月初旬ころから花が咲き始める。

平成4年8月指定

所在地 鎌ケ谷市中沢907

 

徒歩5分

6.三橋家の墓地 

 三橋家は、江戸時代に小金中野牧の牧士)役をつとめた家柄である。牧士は野馬の管理を行ない、野馬捕)りや将軍の鹿狩)りの際には、勢子人足)たちを指揮した。また、苗字帯刀)の他、乗馬や鉄砲の所持も許されていた。この墓地には享保8年(1723)に亡くなった五郎兵衛)から、昭和の初めに貴族院議員として活躍した三橋)まで、 10代にわたる墓石がある。

昭和52年7月指定

所在地 鎌ケ谷市中沢646

 

三橋家の墓地

徒歩8分

7.ファイターズ鎌ケ谷スタジアム 

 自然と調和した住みよいまち-緑とふれあいのあるふるさとかまがや-を都市像に掲げる本市では、地域の振興、都市基盤・生活環境の整備、福祉・保健の充実、教育・文化の向上、産業の振興を目指し、21世紀の鎌ケ谷づくりに向けて諸施策を展開してきた。
 こうした中で、市民のスポーツに対する夢と情熱をはぐくみ、「生涯スポーツ都市」のシンボル的所在として「日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷」が平成9年にオープンした。
 ファイターズタウン鎌ケ谷は、プロ野球の北海道日本ハムファイターズファームの拠点として、選手の育成・練習、イースタンリーグの公式戦のほか少年野球教室等が開催されている。

所在地 鎌ケ谷市中沢459

 

徒歩10分

8.万福寺(境内遺跡) 

 152基以上の板碑と火葬人骨・骨壷・渡来銭などが出土した県内でも貴重な中世遺跡である。弘安7年(1284)の板碑が最古。梵字を刻んだ種子板碑「南無妙法蓮華経」を刻んだ題目板碑があり、浄土教系(種子板碑)の信仰から日蓮宗(題目板碑)への改宗があったことがわかる。

所在地 鎌ケ谷市中沢484

 

種子板碑の画像

徒歩7分

9.根郷貝塚標柱 

根郷貝塚の出土品の画像

  万福寺の北側に位置する縄文、古墳、奈良・平安、室町時代に及ぶ複合遺跡である。各時代にわたり住居跡などの遺構や遺物が発見されている。特に縄文時代の住居跡には貝塚が残され、埋葬された状態で人骨が発見されている。  写真は埋葬人骨の出土状況、埋葬人骨とともに出土した、バンドウイルカの下顎骨で作られた腰飾、イノシシの牙で作られた腕輪である。

徒歩5分

10.大堀込遺跡説明看板 

  第四中学校を囲むように広がる縄文、古墳、奈良・平安時代に及ぶ複合遺跡である。
各時代にわたり、住居跡などの遺構や遺物が発見されている。
 写真は縄文時代の深鉢形土器、漁撈に使われたと考えられる軽石製の浮子、弓矢の先に付けられた石鏃、祭祀に用いられたと思われる土偶、奈良・平安時代の土師器に墨で「七」と書かれた墨書土器である。

所在地 鎌ケ谷市中沢1123

 

土器や土偶の画像

徒歩11分

11.猿根No.1遺跡 構造復元住居跡(民間霊園内) 

縄文時代と古墳時代の遺跡。古墳時代の住居の跡が見つかっている。構造復元住居(柱組のみ)が1軒建てられている。

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