魚文の句碑≪市指定≫

東鎌ケ谷1-7

魚文の句碑(ぎょぶんのくひ)

魚文の句碑の画像

 「ひとつ家へ 人を吹き込む 枯野かな 魚文」(銘文)
松尾芭蕉の流れをくむ俳人三級亭魚文が、旅の途中で鎌ケ谷宿を通った時に詠んだ句と思われる。「明和元年(1764)、武陽産高橋氏建立」とある。木下街道の道標を兼ね、「右 木をろし道」「左 中木戸道」と刻まれている。
木下街道は古くは木下河岸と行徳河岸を結ぶ輸送路として、その後も江戸から鹿島方面への参詣や銚子方面へ向かう人々で賑わい、鎌ケ谷宿にも多くの文人墨客が往来していた。古くは松尾芭蕉が弟子を伴い「かしま紀行」を残している(貞享4年(1678))。また、渡辺崋山は文政8年(1825)に鎌ケ谷宿付近で「四州真景図」の「釜原」を描いている。この絵柄は、現在きらり鎌ケ谷市民会館きらりホールのどん帳画にもなっている。
昭和47年3月指定

地図情報

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